ホーム

>

越後の歴史・文化

イベント情報

越後の歴史・文化 人物・遺産

ちょっと古い昔、越後は日本の国の中で数多くの日本一を有する、人材も資源も知識も豊富なすばらしい地域であった。
転機となる北越戊辰戦争後、明治維新の激動の中で、賊国といわれた長岡藩、及び新潟県の各藩から、日本の産業の基礎を築いた多くの人たちがいた。そんな知られざる先覚者を順次紹介いたします。

全 3 件

日本造船界の先駆者 白峰駿馬(しらみね しゅんめ) (1862~1911)

土佐海援隊に入り、長岡出身最初のアメリカ留学   弘化四年(1947) 5月、長岡藩士・鵜殿瀬左衛門長義の三男に生まれる。文久二年(1862) 江戸遊学。元冶元年(1864) 4月、勝海舟の海軍塾に入門。慶応元年(1865) 春、坂本龍馬の亀山社中に参加。大極丸の船長となり長崎、大阪間を回航した。海援隊にも加わる。 明治...

詳細を見る

日本の出版界王 大橋佐平(おおはし さへい)(1835~1901)

近代長岡で異才を放った人物が52歳で上京。出版社博文館を創業して大成功。書籍取次、通信社、洋紙業、印刷業など時流の先を読み時代の先頭に立った。   天保六年(1835) 12月22日、長岡城下上田町の油商人の二男に生まれる。 生家は資産家であったが幕末の頃衰え、復活を願い長女に奉公人又七を迎え、その...

詳細を見る

日米和平の架け橋・駐米大使 斉藤博(さいとう ひろし) (1886~1939)

  日本人ばなれした英語力で軍縮会議などで評判になった外交官。 日本外交の誠実を説いたが、その心労がたたり願いもむなしく病没。   明治19年(1886) 12月24日、元長岡藩士斉藤祥三郎の二男として、勤務先の岐阜で生まれる。祖父の斉藤幸哉は戊辰戦争に従軍。父祥三郎は戦後、国漢学校、洋学校から...

詳細を見る

全 3 件

サイトマップ 個人情報の取り扱い
Page Up
Copyright AOSHINOMORI All rights reserved.